俳優であり映画監督の榊英雄さんが歩んできた道と、影響を受けた映画や音楽
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POPLETAでは様々な業界、いろいろな業種の方に自身が影響を受けた作品や人物について話を聞いています。第30回は、俳優として様々な作品に出演し、現在は映画監督としても活躍する榊英雄さんにインタビューしました。

対談者プロフィール

  • 榊英雄:1970年、長崎県五島市生まれ。1995年、PFFスカラシップ作品として古厩智之が監督した『この窓は君のもの』の主演で俳優デビュー。下積み時代を送る中、98年に自主映画『“R”unch Time』を監督する。北村龍平監督の『VERSUS』(00)の準主役に抜てきされ、『ALIVE アライヴ』(02)では主演を務める。その後『あずみ』(03)、『北の零年』(04)、『楽園 流されて』(05)、『ナイト・トーキョー・デイ』(09・スペイン映画・イザベル・コイシェ監督作品)などに出演。俳優として活動する一方で、07年に『GROW 愚郎』(桐谷健太主演)で商業映画を初監督。『ぼくのおばあちゃん』(出演:菅井きん、岡本健一)(08)に続く『誘拐ラプソディー』(出演:高橋克典、林遼威)(09)で第20回日本映画批評家大賞の新人監督賞を受賞。12年には特撮ドラマ『特命戦隊ゴーバスターズ』で司令官役を演じ、劇場版3作品にも出演。その後、ジョージ秋山の漫画『捨てがたき人々』(出演:大森南朋、三輪ひとみ、美保純)や、過激すぎる内容から電子書籍として自費出版された小説『木屋町DARUMA』(出演:遠藤憲一、三浦誠己)の実写映画化でメガホンをとる。その他監督作品としては、『アリーキャット』、『生きる街』、NHKドラマ『満願』シリーズがある。また、監督を務めたテレビ東京ドラマ『ミリオンジョー』、NHKドラマ『決してマネしないでください』が間も無く放送。
  • 首藤和仁:神奈川県相模原出身。1995年、株式会社アスキーへ入社。週刊ファミ通にて近藤るるる・著『天からトルテ!』や『たかまれ!タカマル』等を担当。その後2013年、株式会社KADOKAWAへ移籍しComicWalkerの副編集長へ就任。和田ラヂヲ・著『猫も、オンダケ』では漫画担当および同作のテレビアニメのプロデューサーへ就任。現在はイマジニア株式会社のマンガほっとにて天月みご・著『酒男子』や伯林・著書『メダロット再~リローデッド~』のクロスメディアプロデューサーに。またエルジェイ有限責任事業組合にて『マモニャン』のクリエイターや株式会社エスケイジャパンにて『忠犬もちしば』のコンテンツプロデューサー。そして2019年より声優・タレント事務所の株式会社プロダクション・エースのコンテンツプロデューサーへ就任し、所属タレントの水島裕が出演するYouTubeチャンネンル『裕にいちゃんねる』をコンサルト中。

 

ダンサーか教員か

首藤:英雄さんは現在役者であり映画監督でありと多岐に渡りご活躍をされていますが、最初にこの芸能界に入ったきっかけは?

榊:元々は長崎県にある五島列島の福江島で生まれ育って、大学進学のために福岡県に出たあと、卒業したタイミングで東京に来ました。

首藤:東京に出るのは役者になるために?

榊:役者になるためというよりは大学時代に今のEXILE的なダンスをセミプロでやっていまして……。

首藤:おおっ! あの『特命戦隊ゴーバスターズ』のエンディングで普段は冷静沈着な黒リン(※榊英雄さんが演じた特命部の黒木タケシ司令官の愛称)が魅せた、キレッキレのダンスは大学時代に培っていたんだ!

榊:はい(笑)。それでこのまま福岡でダンスを続けるか、それとも大学が経済学部だったので、教職の免許を取って学校の先生にでもなるかと考えていたのですが、それはそれで自分的にはあまり面白みがないなぁとも思いまして。

首藤:人によっては順風満帆のような気もしますけどね(苦笑)。

榊:本当に福岡県は居心地が良かったし、人にも恵まれていたのですが、何となくここにずっといたら自分に甘えが出てしまうと思いまして。これは地方出身者ならではですが、親しかった周りの人たちに「俺、学校卒業したら東京に出るけんね!」と宣言すれば、もう出るしかない状況になるので、大学を卒業した1993年にとりあえず東京に出てきました(笑)。

榊英雄さんが書いた『特命戦隊ゴーバスターズ』のPOP

 

デビュー作でいきなり主演に抜擢!

首藤:とりあえずという事はその時はまだ明確な指針もなく東京へ?

榊:そうなんです(笑)。とりあえず東京でバイトをしながら何か探そうとしていた時に、バイト先の友だちに「舞台とか映画も観た方がいいよ」と言われたので、雑誌の「ぴあ』を買っていろいろ劇場を探しては鑑賞していました。そこに「ぴあフィルムフェスティバル」で当時グランプリを獲得した古厩智之監督の次回作、『この窓は君のもの』の主演男優のオーディション告知があり、それに応募しました。

首藤:それは東京に来てからどれくらいのタイミングだったのですか?

榊:上京したのが93年の4月で、その2か月後の6月に応募しました。そして、受かりました(苦笑)。

首藤:早いですね! 主演男優のオーディションですが、それまで演技の経験とかはあったのですか?

榊:この当時は演技なんて全く経験なしですよ(笑)。それに夏にはもう山梨県の山奥で撮影に入っていました(笑)。

首藤:漫画の世界のようなスタートですね!

榊:ラッキー以外のなにものでもないと思いますし、それが芸能界に入ったきっかけになりました。

 

“ゴールデン暗黒時代”の到来

首藤:役者として主演デビューという華々しい世界から映画監督になられたきっかけは?

榊:これが九州もんののぼせ気質じゃないですが、最初から主役をやらせていただいて、もう役者として全てが上手く行くと思っていたんです。でも、どの世界もでしょうが、特にこの芸能界は甘くない世界でして(苦笑)。その後、役者としての仕事がこれでもかと来ると思っていたら、全くお声掛けもされず、それどころか事務所も決まらずでした。それこそ365日中、360日はバイトに費やす日々なわけですよ。

首藤:日々を生きるための選択でもありますからねぇ……。

榊:ええ(苦笑)。自分でプロフィールを各オーディション先へ持参しては主役の遠くに映る通行人か、遠くからガヤだけするエキストラの日々で。

首藤:各賞に輝いた『この窓は君のもの』の主演なのに……。

榊:自分にとって役者のスタートは“ゴールデン暗黒時代”でしたから(笑)。

首藤:おお、上手い!……とか言っていいのかな?

榊:いいですよ、事実なので(笑)。若さゆえですが「何で俺じゃなくて、あいつが主役なんだ」という妬みや嫉みが酒を飲めば口から出てしまう日々で、そんな時に一緒に飲んでいた役者仲間から「その意見は格好悪いよね。だったら自分で脚本を書いて監督すれば、自分を主演にできるじゃん」と言われたんです。それに納得して、自主映画から映画を撮る側にもなりました。 

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