人生で一番好きな映画『いまを生きる』を、さらに好きになった理由/いか文庫店主・粕川ゆき
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人生の中で忘れることができない、宝物のように大切にしている作品が、誰の胸の内にもあるだろう。それは子供の頃に一度だけ観た作品かもしれないし、人生の節目に何度も見返してしまう作品かもしれない。人それぞれの物語がそこにはある。

実店舗を持たないエア本屋・いか文庫の店主・粕川ゆきさんにとってそれは『いまを生きる』という作品だという。粕川さんが『いまを生きる』を観て、何を感じ、何を考えたのか、その想いを書き綴ってもらった。


 
『いまを生きる』

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映画『いまを生きる』の舞台は、1959年のアメリカ、バーモント州にある全寮制男子学院。弁護士や医者など具体的な将来の目標を持った、いわゆる超エリート養成教育を受ける男子高校生たちが主役の物語だ。

この学院の教科書はどれも辞典のような厚さで、生徒たちはそれらを何冊も抱え、次から次へと教室を行き来する。教師たちは皆、授業をハイスピードで進める上に、「それは無理でしょ!」と、おもわず突っ込みたくなるボリュームの宿題を与えるなど、ただただ大量の知識を詰め込ませようとするが、そんな学校にある時、一風変わった教師が赴任してくる。この学校の卒業生でもある国語教師、キーティングである。

 
「詩」を学ぶことをメインとしたキーティングの授業は、生徒たちが戸惑うほど異色だった。

例えば、教科書の序文、”詩の評価の仕方”を全ページ破り捨てさせ、「こんなものはクソったれ」「自分の感覚で味わうことを学ぶのだ!」と説く。教壇の上に登らせ、「いつもとは違う目線で世界を見てみよう」と促す。サッカーボールを蹴るのと同時に、詩の一節を叫ばせる、などなど画面を通して観ている私たちまでワクワクしてくる面白さだ。

生徒たちは次第に彼の熱量に魅せられ、”自分”がどう思うのか?”自分”はどう生きたいのか?を、自力で考え始める。そしてある日、キーティングが学生時代に催していた「死せる詩人の会」を再始動させ、「詩」を通してさらに、活き活きと変わっていく。

 

私がこの作品を初めて観たのは、高校1年か2年の時、映画の中の学生たちと同世代の頃だったが、その1回目の衝撃が未だに忘れられない。

というのも、トイレットペーパーを丸々1個使ってしまうほど大泣きしてしまったからだ。

実は私もこの時期、親元を離れて学内にある寮で生活をしていたので、似た境遇だったということもあったのかもしれない。

でもそれ以上に、自分に自信が無く、自らの意思で動くことに苦手意識を持っていたので、生徒たちがどんどん変わっていく姿に憧れを抱いたような記憶もある。物語が大きく動く後半は特に、心をぐわんぐわんと揺さぶられ、泣きやむことができなかった。

 
そんな出会いから20年後、私は様々な職業を経て、書店員になった。

あるとき仕事の一環で「詩が出てくる映画」を集めることになり、参考文献として読んだ、映画評論家・町山智浩さんの「アメリカ映画には、詩の朗読シーンがよく出てくる」という内容のコラムで『いまを生きる』に再会し、その解説にハッとした。これは「学園モノ映画」というより「詩の映画」じゃないか!と思ったのだ。

 
『いまを生きる』にはたくさんの詩が出てくる。キーティングは一番最初の授業でまず、映画『チャタレイ夫人の恋人』の主題にもなっているという詩、「処女たちへ」の朗読をするよう生徒に指示する。

また、アメリカ人なら誰でも知っていて、他のアメリカ映画でも多く取り上げられているという詩人、ウォルト・ホイットマン(注1)の詩は、それこそキーティングが大好きなのだろう、本当に何度となく登場する。

授業では毎回必ず詩の朗読が行われ、最初は訝しがっていた生徒たちも、次第にその言葉たちに熱心に聞き入るようになり、さらに物語が進むにつれ、今度は生徒たちが授業やそれ以外の場所でも詩を口にすることが多くなっていく。

 

書店員になる前の私は、キーティングに出会う前の学生たちと同じように、「詩」というものに興味がなかった。だから、映画の邦題にもなっている「カーペ ディエム」=「いま、この時を生きるのだ」というセリフも、詩の中にある一節だけれど、当時はただのメッセージとして受け止めていた。

今になって考えると、詩をどう理解すればいいのかわからない、というところでつまずき、キーティングが言うような「自分の力で感じ、考えること」ができていなかったからなのかもしれない。

それが、書店員になってからは、この映画の見方が大きく変わった。仕事で詩に触れるようになり、知識が増え、その詩がどんな詩なのかが、自分ごとでわかるようになったからだと思う。

 
この映画の特に有名なセリフ、「おぉキャプテン!マイキャプテン!」も、ホイットマンの詩の一節だ。映画評論家の町山さんによるとそれは、リンカーン大統領が暗殺された時に捧げられたものだそう。

彼の詩集は、岩波書店、光文社、みすず書房など、多くの出版社が刊行しているが、それも書店員になったからこそ知ったこと。

 
そして「死せる詩人の会」の始まりに必ず読み上げるのは、アメリカの思想家、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(注2)の著作『ウォールデン 森の生活』の一節で、この本も、どの書店にも必ずあると言っても過言では無い、定番の1冊だ。

 
学生たちは厳しいルールに縛られながらも、やはり多感な年頃なので、詩の言葉、そしてキーティングの言葉に刺激と勇気を与えられ、恋をしたり、演劇に取り組んだり、どんどん前進していく。

私が高校生の時には、そんな彼らの姿と自分の環境を重ね合わせて勇気をもらうだけで満足していたが、あれから25年経ち、詩や本の知識を携えて観ることで、新たな、そして深く味わう楽しみを与えられるなんて。

 
数年前まで私は、詩を読むことは恥ずかしいことだと、それこそ恥ずかしながら思っていた。

でも今は、詩が読まれた背景を調べたり、自分で想像することが楽しいと思えるようになったので、自分の好きな詩人として、山之口獏(注3)という名を挙げることができるし、茨木のり子(注4)の『歳月』という詩集を読みながら涙を流すことも多い。

だからもう、学生たちが詩を口にしてうっとりする顔や、ここぞという時に唱えるように呟く姿を見ても、不思議に思うことも、恥ずかしくなることもない。自分もこういう顔をしてみたいと思うし、朗読だってできるし、自作の詩を書くことだってできる。

 

詩を好きになったことで、この、人生で一番好きな映画『いまを生きる』を、輪をかけて好きになることができた。

こんなにも世界がキラキラしているように思える感情は、なかなか味わえない。もしかしたら、学生たちのように私も輝いているかもしれない。そうだとしたら、とても嬉しい。

 
これこそが、授業の中でキーティングが言っていた「物事を異なる側面から見つめる」ことで得られた、「えらく違って見える世界」なのかもしれない。

 
ただ正直なところ、ホイットマンの詩やソローの言葉を自分の力に変えることは、まだできていない。『ホイットマン詩集』や『森の生活』は自室の本棚に刺してはいるけれど、情熱的な言い回しや内容を読み解けていないからだ。

でもいつか、その中から大切な言葉を見いだすことができるのだろうという”予感”はある。だからこれからも、『いまを生きる』を何度も繰り返し観て、映画を、本を、詩を、何度も好きになりたいと思っている。

 

text by 粕川ゆき

 


 

■プロフィール
いか文庫店主・粕川ゆき
いか文庫は、お店も無いし、商品も無いけど、毎日どこかで開店している「エア本屋」。どこで?どんな風に?どうやったら?本を(たまにイカも)楽しく売ったり買ったり知ったり味わったりできるのかを、日々考え動き回っています。渋谷のリアル本屋でも働いています。
WEB:http://www.ikabunko.com/
Twitter:https://twitter.com/ika_bunko

 


【注釈】
(1)ホイットマン(1819〜1892)…アメリカの詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。アメリカ文学において最も影響力の強い作家の一人。人間のあるべき姿を情熱的に語る自由詩は、当時のアメリカでは発禁になることも多かった。日本では、明治時代、夏目漱石によって紹介された。

(2)ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817〜1862)…アメリカの作家、詩人、思想家。『ウォールデン 森の生活』は、27歳で森に家を建て、2年2ヶ月過ごした時の記録をまとめたもの。日本だけでも10冊以上の訳書が発売されている。その序文「私は生きることの真髄を心ゆくまで味わいたい」を、生徒たちは「死せる詩人の会」の冒頭で読み上げる。

(3)山之口獏(1903〜1963)…沖縄出身の詩人。生涯貧乏暮らしをしていたが、多くの詩人に愛され、その心の豊かさから「精神の貴族」と呼ばれた。フォークシンガー・高田渡が彼の「生活の柄」や「鮪に鰯」などの詩にメロディをつけて歌い、現代のアーティストにも多くカバーされ、歌い継がれている。

(4)茨木のり子(1926〜2006)…詩人、エッセイスト。戦時中のことを詩にした「わたしが一番きれいだった時」や「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」など、力強い作品が有名だが、亡き夫を思い30年以上綴り続けた詩を収めた『歳月』が、死後甥の手によって出版され、
知る人ぞ知る名著として在る。

【参考文献】
『kotoba』第23号(2016年・集英社)
『映画と本の意外な関係!』(2017年・集英社)
『英詩と映画 その愛と生と死』(2003年・アーツアンドクラフツ)