話題の映画『バスキア、10代最後のとき』を観る前に……、NYのストリートカルチャーに大きな影響を与えながら夭折した天才の一生を辿る
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27歳の若さでこの世を去りながら、今やアンディ・ウォーホルと並んで、アメリカの現代アートを代表する存在となったジャン=ミシェル・バスキア。最近では、彼の作品が現代アートで最高の値段(約123億円)で取り引きされたことが話題になったこともあった。そんなバスキアが有名になるまでを追ったドキュメンタリー映画『バスキア、10代最後のとき』が話題を呼んでいるが、バスキアとは一体どんなアーティストだったのか。その経歴を振り返ってみよう。

 

『バスキア、10代最後のとき』(2018年)

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1960年、バスキアはニューヨークで生まれた。プエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親を両親に持つバスキアは、4歳で読み書きを覚え、11歳の頃にはフランス語とスペイン語を流暢に喋れるなど頭の良い子供だった。その一方で、芸術好きの母親に連れられて美術館に通い、アートへの興味を深めていった。両親が離婚してからは母親と暮らしていたが、13歳で母親は精神病院に入院。バスキアは父親に引き取られたが、父親とうまくいかず、家を出て路上生活を送るようになる。その頃から、バスキアの夢は有名な芸術家になることだった。

そして、1976年。バスキアは、高校時代の友人、アル・ディアスとグラフティのユニット、SAMOを結成する。当時、はニューヨークでは、スプレーで公共施設に絵やメッセージを書くアート、グラフティが若者の間で広がっていた。そんななかで、SAMOの文学的なグラティは注目を集めるようになる。グラフティがニューヨークのストリート・カルチャーを象徴するアートになっていくなかで、SAMOは同時代のグラフティ・アーティスト達に影響を与えた。

 
イギリスのグラフティ・アーティスト、バンクシーもバスキアから影響を受けたひとり。バンクシーといえば、今年、サザビーズで高値がついた彼の作品が、額縁に仕込まれた装置で自動的に裁断されて、世界を驚かせたことが記憶に新しい。

バンクシーの作品に必ず政治的なメッセージが織り込まれているのは、バスキアからの影響だろう。2017年、ロンドンのバービカン・センターでバスキアの回顧展が行われた時、バンクシーはバスキアの作品を題材にしたグラフティを、バービカン近くのトネンルの壁に描いた。

それはバスキアが描いた人物を、警官がボディチェックしているという絵。そこには、今も無くならない人種差別に対する痛烈なメッセージが込められていた。

バンクシー・ダズ・ニューヨーク

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バスキアらしいのは、せっかく話題になったSAMOを、すぐに“卒業”したことだ。

新聞に取り上げられた直後、「SAMO IS DEAD」と壁にグラフティを残してSAMOを解散。今度は音楽に興味を示した。70年代末のニューヨークは、ヒップホップやパンクといった新しい音楽が誕生した時期で、常に新しいものを探していたバスキアが、それを見逃すわけがなかった。

当時、グラフティはヒップホップ・カルチャーと密接に結びついていたが、バスキアはヒップホップではなく、テストパターンというバンドを結成(後にグレイに改名)。ジャズやノイズを取り入れた実験的なサウンドで、独自のセンスを発揮した。一時期、俳優のヴィンセント・ギャロがメンバーとして参加していたのは有名な話。

また、バスキアは、初期ヒップホップの名作12インチ・シングル、ラメルジー Vs. Kロブ「Beat Bop」のプロデュースとジャケットのデザインを担当。この一枚を通じて、バスキアはヒップホップ・シーンにも足跡を残した。

さらに、NYのアンダーグラウンドの音楽シーンを紹介する映画『DOWNTOWN 81』に出演したり、NYのバンド、ブロンディのヒット曲「Rapture」のミュージック・ビデオに出演したりと、音楽方面でも頭角を現すようになったバスキアが、次に興味を示したのがファッションだった。

「マンメイド」というプロジェクトを立ち上げたバスキアは、既成の服にペインティングを施して、一点モノの“着るアート”を売るようになる。ポップアートを生み出したアンディ・ウォーホルに影響を受けていたバスキアにとって、芸術作品は美術館で鑑賞するものではなく、街角やショーウィンドウで楽しむものだった。

そして、手作りのポストカードを憧れのウォーホルが買ってくれたことが、バスキアの運命を大きく変えた。

バスキアの才能を見抜いたウォーホルは、1983年からバスキアとコラボレートするようになる。その頃には、バスキアは新進気鋭のアーティストとして注目を集めていて、当時、人気に翳りが見えてきたウォーホルは、バスキアとのコラボレートを通じて若い才能から大きな刺激を受けた。

また、この頃、デヴィッド・ボウイもバスキアと交流を深めて、バスキアの作品をコレクションするなど、バスキアは80年代初頭に「有名なアーティストになる」という夢をかなえることができたのだ。

しかし、作品を作り続けることへのプレッシャーや、思ったように作品が評価されないことへの苛立ちから、バスキアはドラッグに溺れていった。

そして、敬愛するウォーホルが亡くなった翌年、88年にバスキアはドラッグのオーヴァードーズでこの世を去った。

 

ストリート・アートを芸術に高めた先駆者であり、黒人で初めて成功したアーティスト、バスキア。

『バスキア、10代最後のとき』は、そんなバスキアが自分のスタイルを見つけようと試行錯誤していた頃の様子を知ることができる。

同時に、彼を取り巻くNYストリート・カルチャーも知ることもができる本作は、アート好きには見逃せない作品だ。

 

text by 村尾泰郎

 


 

『バスキア、10代最後のとき』
2018年12月22日(土)公開
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