【私の転機になった作品】「不平等」な運命を受け入れられなかったときに出合った一本の映画
  • 特集
  • 映画

長い長い人生において、どんな出来事が転機となり、その人の人生に影響を与えていくのかは分からないもの。そのときには分からなくても、後になってから「あれが転機だった」と気づく瞬間もある。大きな転機もあれば、小さな転機もある。人生は転機の連続だ。それなら「作品との出合い」だって、転機となりうるはず。

今回は、オウンドメディア「サイボウズ式」の編集者でありながら、複業でフリーランスの編集者・ライターとしても活動する、あかしゆかさんに「私の転機となった作品」についてエッセイを書いてもらった。

 

この世はとても「不平等」だ

この世はとても不平等だ、と私は幼い頃からずっと思っている。その理由は、ふたつある。

ひとつは「生まれつき持っているもの」が誰しも違うから。それはたとえば長い手足、美しい声、整った顔、聞こえない耳、見えない目。

もうひとつは「予期せず失われてしまうもの」がある人とない人が存在するから。それはたとえば昨日まで隣にいたはずの最愛の人、昨日まで動いていたはずの手足、家族の思い出が残る家。

人は、生まれつき持っているものも、それらを失うかどうかさえも不平等だ。そして、これらの「不平等でどうしようもないこと」を、人はしばしば「運命」と呼ぶ。

「運命」と聞くと「運命の出会い」「運命の人」などといったポジティブなイメージを持つ人が多いかもしれないけれど、私は「運命」という言葉に対してネガティブなイメージを強く持っている。ベートーベンが、難聴に気付きはじめた頃に、『運命』というかの有名な曲を書いたように、「運命」とはこの世の不平等で残酷な、どうしようもできない宿命のことを表すのではないか、と。

 

「不平等」を受け入れなかったときに出合った一本の映画

思春期の頃の私は、この世の不平等さが「不幸」につながることなのだ、と思っていた。なんで私には長い手足がないんだろう? なんで私には美しい髪がないんだろう? なんで私にはお姉ちゃんみたいなピアノの才能がないんだろう──? 自分が悩んだり苦しんだりするのは、持って生まれた「運命」のせいなのだ、と過言ではなく思っていた。

今回ご紹介する映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』は、そんな「運命」と向き合う人々を描いた物語。

この映画を私が最初に観たのは、大学1年生のとき。そしてこの映画を観終わったとき、私の「運命」に対する価値観は、少しだけだけれど、たしかに変化を遂げたのだった。


 
トム・ハンクス演じる主人公のフォレスト・ガンプは、生まれつき人よりも知能が低かった。けれどその分足が速かったことをきっかけに、大学へ進学したり、軍隊で活躍して勲章を受賞したりと、さまざまなチャンスを掴んでいく。

そんなフォレストが出会うのは、多くの「運命」に翻弄される人たちだった。

歌手になるはずだったのに人生がどんどん違う方向へ向かってしまうジェニー、エビ採り船の船長になるはずだったのに戦死してしまうババ、戦争で活躍し、英雄として戦死するはずだったのに足を無くした状態で生き延びてしまうダン小隊長。

この1本の映画の中には、これらさまざまな登場人物のさまざまなエピソードが盛り込まれている。その中でも私が特に影響を受けたのは、「ダン小隊長」とのエピソードだ。

 
ダン小隊長は、とても優秀な軍人だった。部下の命を思い、国のことを誰よりも考え、たくましくも優しく、フォレストの憧れの存在でもあった。しかしある戦線で、ダン小隊長の隊は窮地に追い込まれる。負傷者の数も多く、「もうここまでか」と自決の決意をするダン小隊長を、フォレストは「生きなきゃダメです」と無理やり助けてしまう。

そのあとにフォレストが病院のベッドで出会ったのは、足を失ってしまったダン小隊長だった。彼は「お前が助けたせいだ」「俺の人生は立派な軍人として終わるはずだった」「足がないんだぞ。どう生きればいいんだ……」とフォレストに詰め寄るが、そのときフォレストは何も答えることができなかった。

次にフォレストがダン小隊長と再会するのは数年後。彼は生きがいをなくして街角で酒に溺れていた。しかしとあることがきっかけで、 フォレストとダン小隊長はじっくりと話をする。それから時は流れ、2人は一緒に起業するまでの仲になっていくのだ。

そして、ある日突然、ダン小隊長はフォレストに向かってこう言う。「命を救ってくれた礼を言うよ」──。それは、英雄として死ぬはずだった人生を壊したフォレストを憎み、そんな自分の運命を憎み、自分を障害者扱いしてくる周囲の人や世の中すべてを憎み、もう幸せになれないと思い込んでいたダン小隊長が、自分の運命に打ち勝って、幸せを取り戻した瞬間だった。

 

運命は、立ち向かえるものなのかもしれない

このシーンを見たときに、私は、「不平等」な運命は、決して「不幸」への入り口ではないのだ、と思った。

ダン小隊長がフォレストと再会して生きる意味を取り戻したように、そしてフォレスト自身が知的障害を持ちながらもさまざまな場所で愛されたように、人は不平等な自分の運命を、誰かとの出会いの中で、誰かとの関わり合いの中で、幸せなものに変えていけるのだ、と。

 
映画の最後で、フォレストは愛する妻の墓碑を見つめてこう呟く。

僕らにはみんな運命があるのか、それとも風に乗ってたださまよっているのか。
たぶんその両方だろう。両方が同時に起こっている。

私たちの運命は、生まれつき「ある」と同時に、まだ不確実にさまよっていて、いつどうなってしまうかなんてわからない。この世はどうしようもなく不平等なものだ、と私は今も思っていて、その気持ちに変わりもない。けれど、その不平等な運命を「不幸」にするか「幸せ」にするかは自分次第で、そのベクトルの向きを変えてくれるのはいつだって、何かや誰かとの出会いなのだ。

 
もともと自己肯定感が低かった私が、自分自信を愛せるようになったのもちょうどこの頃から。きっと、この映画との出合いも、私の不平等な「運命」に対する考え方を変えてくれた、一期一会の出会いだったに違いない。
  
フォレスト・ガンプ 一期一会
  
フォレスト・ガンプ
作品ページを開く
 

text by あかしゆか