セックスに翻弄される女性、男性の生きていく姿を描いた三作品
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セックスがしたいと思い、適切な相手を探すために執拗に行動する。
相手が見つかって、セックスができたからハッピーエンドを迎えるかというと、そうはいかない。また違う相手を探すことになる。

これから紹介するのは、そんな男女の姿を描いた三作品である。

セックスをし終えても満たされない彼らの姿から、本当に求めているものはセックスやそのための相手ではないように見える。それでもまた行動をし続ける主人公の姿は滑稽にも見えるし、彼らの溢れる生命力に勇気づけられもする。

『毒島ゆり子のせきらら日記』─ 彼女は、男性が食べるクロワッサンに自分の体を投影する

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「食べ方が汚い人は嫌い」
恋愛の話ではよく耳にする言葉である。

毒島ゆり子は、自分が望んでいるように愛してくれる異性を探しているように見える。彼女は男性が目の前でクロワッサンを食べているのを見ながら、彼がどのように自分を扱うかを想像する。
『毒島ゆり子のせきらら日記』はゆり子の男性との出会い始めに対する観察や期待が豊かに描かれた作品だ。

作中では、ぺちゃんこに押し潰して一口で食べる人もいれば、コーヒーに浸す人もいれば、くるくると畳まれた生地を剥いでいく人もいる。それらを見て、こんな食べ方もあるのかと驚いた。
ゆり子とのデートに夢中な彼らは自分自身の食べ方に自覚的ではないようで、彼女に観察されていることに気づかずにいる。

クロワッサンを週に四度は食べるが、食べ方を意識したことはなかった。しかし、自分もまたいつも同じ食べ方をしていることに気がついた。

クロワッサンは中にたくさんの空洞があることによって小麦粉とバターを軽やかに味わえる食べ物である。そして、それは三つの部分にわけられる。横から、角のようになっている端の部分、盛り上がった中央の部分、それからまた端の部分。
まず一方の端を、なるべく全体の空洞を潰さないようにちぎり、一口で食べる。普段よく食べるものは、バターがかなり入れられているのか、口に含んだだけでバターの脂が溢れ出てくる。噛んで小麦の味が広がるや否や、バターの味がそこから強く広がっていく。さらに噛んでいると、やがて小麦が優勢になり、バターは仄かに香りをとどめるくらいになる。それから、唾液によって小麦とバターは混ぜ合わされ、追いかけあっていた二つの味は重なって一つになる。
口の中に含んだものを食べきったところで、残った甘みを感じながらコーヒーを飲む。

もう一方の端も同じように食べた後、中央の部分を食べる。中央は熱の影響を受けるせいか、端と比べると表面がカリッとしていて香ばしい。その最も上の部分を巻かれている生地の先端をつまんで、半周ほど引き離す。コーヒーとこの香ばしさとは、先ほどとは違った味の交わりがある。

表面を引き剥がされて最後に残った部分は、焦げついたところのない、白と黄色のグラデーションで構成された生々しい部分である。この部分は生地の表面の犠牲のもとに蒸されており、小麦粉とバターの生々しさが程よく熱が通されながら残っている。

男性が食べる姿を見るゆり子の視線はいつも期待に溢れ、艶かしい。画面越しに出会い始めの楽しい緊張感が共有できる。もし自分にその視線が向けられたらとも、同じように自分が他人にその視線を向けたらとも想像を促してくれる。

しかし、観察する人間は、自分もまたその対象であることを忘れがちである。
ゆり子の異性との関係は、彼女を落ち着いて見ることができる男性が現れることによって変わっていく。

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