スクリーンのむこう側とこちら側が静寂で地続きになる極度の緊張体験
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物音を立ててはいけない。映画の劇中において、この状況は多い。例えば、敵の集団に追われた主人公のチームが壁の裏側に回って息をひそめた『マトリックス』(1999)、そして頑強なセキュリティが施されたIMFのビルに潜入したエージェントがエアダクトをバレないよう静かに這う『ミッション:インポッシブル』(1996)などは、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。アクションやサスペンス映画であれば、こういうシーンが劇中に一度は出てくる。それほど馴染みのある状況と言える。なぜなら映画にとって、この状況は甘美だからだ。身の危険を背負った静寂は、日常生活の中ではほぼ皆無。そして、物音を立てないように振る舞う経験は、誰でも一度は覚えがあるだろう。これらの条件が整うことで、観客の実体験を踏まえた想像力を掻き立て、シーンに大きな緊張感を与えることが可能だ。

ただし、ほとんどの映画で、物音を立ててはいけない状況は作品の一部分にすぎない。物語の緊張感を高める機能として、ピンポイントで効果的に使われるのがほとんどだ。しかし、物音を立ててはいけないことが劇中世界の絶対的なルールだったらどうなるか。間延びしないよう上手く演出すれば、映画の表現としても新しく、これまで感じたことのない緊張を観客に与えることができる。90分間の恐ろしい静寂と異様な緊張が観客を飲み込む本作『クワイエット・プレイス』は、その特殊な設定と巧みな演出によって未体験の映画体験となった。

本作の舞台は、人類が滅亡の危機に瀕した世界。物音を立てた途端に何者かに襲撃されて容赦なく殺されてしまうのだ。わずかに生き残った人類は、沈黙を守り続ける。足音を鳴らさないように道には砂を撒き、会話も手話で行なって、息をひそめて生活をしている。そんな過酷な世界で生きる、ある4人家族が本作の主人公だ。

繊細な音を鳴らすことで表現した、物音を立ててはいけない世界の緊迫感

物音を立ててはいけないという本作の設定は、映画館で映画を観ることに大きく関係している。映画館は、自宅とは比較にならないほどの音響環境が整えられている。このことは、ある意味でスクリーンの巨大さ以上に、映画鑑賞に影響を及ぼす。家庭における画面の巨大化は年々進化しているが、音の面で環境が整っている家庭は多くはない。本作は、物音を立ててはいけない設定により常に静寂に包まれるものの、実際はごく僅かな生活音を聞き取ることができる。それは呼吸音や家を歩く時の床の軋み、自然が鳴らす音など、非常に微細だ。演出として、完全な無音ではなく僅かな生活音を感じさせることで、音のある世界で神経をとがらせて音を立てないように生活している彼らの極度の緊張感を表現している。それが観客に伝染することで、緊迫感は否が応でも増していく。本作の劇中に鳴っている微かな音を感じ取るためには、繊細な音を表現できる音響環境の整った映画館であることが重要で、劇場での鑑賞により観客はさらに大きな衝撃を受けるだろう。

また、何かしらの生活音が交じる家庭ではなく、意識的に静寂が守られる映画館という空間特性も活きてくる。本作は、劇中ずっと音を出してはいけない作品だが、途中から音を立てられない映画で近年大ヒットしたのは、『ドント・ブリーズ』(2016)。同作は、視覚障害を持った老人の家に侵入して金銭を盗もうとした若者たちが、老人の逆撃にあって追い詰められていくシチュエーションスリラー。音を立ててはいけないという映画館のマナーを比較的守る日本の劇場空間との相性が抜群の映画だった。しかし本作は、『ドント・ブリーズ』以上に劇中で音を出していい瞬間がないために、日本の映画館と最も適性が高い映画のひとつと言えるだろう。また、スクリーンの向こう側に広がる虚構の世界の沈黙とこちら側の現実世界の静寂が、緊張感で地続きとなることで未曽有の体感となるのも、本作を映画館で観るべき理由だろう。

世界の破滅と家族の破綻の両面に立ち向かう物語の二重構造

一方、本作は、音を出せない特異な設定だけで映画を押し切ろうとしていない。父リー、母エヴリン、耳の聞こえない長女リーガン、そして長男マーカスで構成されたこの4人家族には、元々、もうひとり、末っ子の少年がいた。しかし、一家で医薬品を取りに薬局へ出かけた際、リーガンのとある不注意によって、小さな末っ子が音を出し殺されてしまう。物事の判断が曖昧な子供の過ちにより、大切な家族の命を失ってしまったことは、リーガンにとっても痛恨の極み。この事件により、リーガンは家族に対してどこか距離をおいてしまうことになる。

この家族の愛憎のドラマこそが、本作の展開に大きな影響を及ぼす。親に愛されていないのではないかと悩んで反発するリーガンに、どうにかして愛を伝えようとする両親。身の危険が迫る極限の状況で、彼らは愛を確認する。破綻していく終末の世界で小さな家族のもうひとつの破綻を描き、ぶつかり合いながら立ちのぼる家族の愛の力強さによってこの破綻した世界に立ち向かう。物音を出したら殺されるというフォーマットの上で、世界の破滅に立ち向かう展開と、リーガンと家族の関係回復の物語が並走していく二重構造が、この作品を立体的にしているのだ。なお、立体的と言えば、本作のリーとエヴリンの夫婦を演じた、ジョン・クラシンスキーとエミリー・ブラントは実の夫婦であることも付記しておく。

本作は、長編映画としては90分と比較的短い。しかし、短尺だからこそ観客がかろうじて耐えうる、詰め込まれた極度の緊張感を味わうことが可能となった。その類を見ない特殊な設定と家族のドラマの絶妙な配分により、一気に駆け抜けつつも、戦慄と余韻を残した本作。まさに、劇場で観るべき映画だ。

by 中井圭/映画解説者

『クワイエット・プレイス』
公開日:9月28日(金) 全国ロードショー
配給:東和ピクチャーズ
監督・脚本・出演:ジョン・クラシンスキー
脚本:ブライアン・ウッズ、スコット・ベック
製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラ-
キャスト:エミリー・ブラント、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ
原題:A Quiet Place

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